この子に、育ててもらっていた。発達ゆっくりっ子と過ごした4年で、わたしが変わったこと

発達理解(特性・診断・考え方)

\ この記事を読んでほしい方 /
発達ゆっくりっ子を育てながら、自分自身も何か変わってきた気がする方/「ちゃんとした親でいなければ」と自分を追い込んだことがある方/子どもに教えてもらったことが、気づけばたくさんあった、という方

「育てる側」だと、ずっと思っていた
育てる、教える、守る、導く。

親とはそういうものだと思っていた。
子どもに何かを与える側が、親なんだと。

だから最初のころは、ひどく焦っていた。

言葉が増えない。
切り替えができない。
集団の中でひとりだけ動けない。

「わたしがなんとかしなければ」という気持ちで、毎日が回っていた。
この子を「正しく育てる」ために、正しい情報を調べ、正しい対応を探し続けていた。

でも4年経って、ふと気づいた。

変わっていたのは、この子だけじゃなかった。

「解決できないこと」を、抱えられるようになった
もともと、わたしは「問題は解決するもの」だと思って生きてきた。

課題があれば原因を探し、対処して、片付ける。
仕事でも、それが得意だった。習い性になっていた。

でもこの子の子育てには、「解決」がないことがある。

工夫してもパニックが起きる日はある。
慣れたと思っていた切り替えが、急にまた難しくなる日もある。
昨日まで食べていたものを、今日は口にしなくなることもある。

最初は、それがひどく怖かった。
うまくいかないたびに「どこかに正解があるはずだ」「もっとちゃんとした対応があるはずだ」と探し続けた。

でもある夜、ふと気づいた。

正解を見つけようとする焦りより先に、
「今日はそういう日だった」と受け取る力の方が、この子には必要なのかもしれない、と。

解決できなくても、終わらせていい。
そのまま抱えたまま、また明日を迎えていい。

それをわたしに教えたのは、この子だった。

「わからない」と言えるようになった
弱音が、得意じゃなかった。

「大丈夫です」「なんとかします」が口癖で、
助けを求めることに、どこか負けたような感覚があった。

それが変わったのも、この子との日々の中でだったと思う。

療育の先生に「どうすればいいですか」と聞いた夜。
主治医に「わたしの対応、間違っていましたか」と声が少し震えた診察室。
職場で「これ以上は無理です」とはじめて口にした朝。

どれも、最初は惨めだった。

でも、聞いたら答えてもらえた。
打ち明けたら、肩の荷が下りた。
「わからない」と言ったら、「わたしもそうです」と返ってきて、少し楽になった。

この子は毎日、わからないことだらけの世界を生きている。
それでも前に向かっていく。

その背中を見ながら、わたしも少しずつ、素直になれた気がしている。

「正しい親」であることを、やめた
怒鳴らない。感情的にならない。
いつも穏やかに、正しい声かけを。

そう決めて、うまくいかなくて、自分を責める夜が、何度あったかわからない。

「また怒ってしまった」「もっとできるはずなのに」と、
眠れないまま天井を見ていた夜が、たくさんあった。

でも今は、「正しい親であること」より「続けること」の方が大事だと思っている。

完璧な対応を一度するより、
70点の対応を毎日続ける方が、きっとこの子には届く。

しんどい夜に声を荒げてしまっても、翌朝ぎゅっと抱きしめれば、それでいい。
泣いてしまった日があっても、また隣に座れば、それでいい。

やめなければ、続けていれば。それが親でいるということなんだと、
ようやく少しだけ、思えるようになった。

この子に「急かさない」と決めたら、自分にも使えるようになった
この子には「急かさない」と決めた、という話を前に書いた。

切り替えが苦手なこの子に、「早く早く」を繰り返しても伝わらない。
その子のペースで動き出すのを待つ。それが、少しずつできるようになってきた。

でもある日、気がついた。

「急がなくていい」を、わたし自身に向けていなかった、と。

ブログのこと。仕事のこと。将来のこと。
もっと早く、もっとうまく、もっとちゃんとしなければ、という焦りが、いつもどこかにあった。

この子に「ゆっくりでいいよ」と言いながら、
自分には「それでいいわけがない」と言い続けていた。

この子の成長は、ぐんと伸びて、止まって、また伸びる。
停滞しているように見える時間も、根っこの方では何かが育っている。

わたしも、そうなんじゃないか。
今すぐじゃなくていい。そう思えるようになったのは、この子の隣で過ごしてきたからだと思う。

「答えが出ない問い」を、持ち続けられるようになった
以前のわたしは、宙ぶらりんな状態が苦手だった。

決まっていないことが落ち着かなかった。
「どうなるのか」「正解はどこにあるのか」が見えないと、不安で眠れなかった。

でも今は、少し違う。

二人目どうするか。決まっていない。
就学はどうなるか。まだわからない。
この子の将来。誰にもわからない。

それでも今日は、ごはんを食べて、風呂に入って、寝る。
答えが出なくても、明日は来る。

宙ぶらりんのまま続けることができると、少しずつ知ってきた。

「わからない」を抱えながら、それでも今日を積み重ねていく。
それがこの子の日常で、気づけばわたしの日常にもなっていた。

この子が、わたしに渡してくれたもの
4年前のわたしに言えるとしたら、こう伝えたい。

「育てる」と思って始めるけど、
気がついたら、一緒に育っているよ、と。

解決できないことを抱えたまま前に進む力。
「わからない」と口に出せる素直さ。
正しくあることより続けることを選ぶ強さ。
急がなくていいと自分に許すゆとり。
答えの出ない問いを、それでも手放さない粘り強さ。

どれも、この子と過ごした日々が、わたしに渡してくれたものだ。

この子は、まだ「ありがとう」とは言えない。
わたしへの気持ちを、言葉にするのはまだ難しい。

でもわたしには、もうわかっている。

この子がくれたものは、言葉よりずっと大きかった。

変わることを、怖がらなくてよかった
発達ゆっくりっ子を育てていると、気づかないうちに自分が変わっていく。

「こんなこと、以前は考えもしなかったな」
「あのころのわたしなら、こうは思わなかったな」

怖かった時期もある。
変わることで、何か大事なものを失うような気がして。

でも今は、変わることを、少し信頼できるようになった。

この子も、変わり続けている。
言えなかった言葉が言えるようになった。
できなかったことが、ある日突然できた。
見えていなかったものが、少しずつ見えるようになった。

変わることは、失うことじゃない。
積み重なることだ。

わたしも、そうだったんだと思っている。

次回は、それでも「しんどい」と感じる夜のことを書こうと思います。変われた、気づけた、それでもやっぱりしんどい。その両方が本当のことだから。

育てているつもりが、育ててもらっていた。気づくのが遅くたって、気づけたならそれでいい。

どうか同じように我が子を思い、調べ、涙を流すあなたの心が少しでも晴れますように。

著者:風助ママ
発達ゆっくりっ子を育てるワーママ。日々のリアルをそのまま書いています。

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