言葉が遅い子でも「伝わっていた」。発達ゆっくりっ子とのコミュニケーションで気づいたこと

発達理解(特性・診断・考え方)

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お子さんの言葉の発達が気になっている方/「言葉が少ない」「伝わっているのかわからない」と感じることがある方/子どもとのコミュニケーションに迷いがある方

「ママ」と呼ばれた瞬間のこと、まだ覚えている
うちの子が初めて「ママ」と言ったのは、2歳を過ぎたころだった。

それまでも声は出ていた。喃語はあった。
でも、わたしを見て、わたしに向けて、「ママ」と呼ぶことがなかった。

だからあの日、台所でふいに「まま」と聞こえたとき、
わたしは手に持っていたスポンジを落として、振り返った。

子どもはソファの上に立って、こちらを見ていた。
目が合った。

「まま、きて」

それだけだった。
でも、それだけで十分だった。
声が出なくて、しゃがんで、黙ってぎゅっと抱きしめた。

言葉が増えるって、こういうことか、とそのとき初めて思った。
語彙が増えることじゃなくて、「あなたに届けたい」という気持ちが、形になることなんだ、と。

「言葉が少ない」は、「伝える気持ちがない」じゃない
診断を受けた当初、わたしが一番怖かったのは「この子と気持ちが通じないのかもしれない」という恐怖だった。

言葉が出ない。呼んでも振り返らない。目が合いにくい。
情報として知っていても、毎日目の前でそれが続くと、
「わたしのことが見えているんだろうか」と思う夜が、何度もあった。

でもある日、気づいた。

わたしが泣いているとき、子どもがそっと隣に来ていた。
言葉はなかった。ただ、ぴったり腕が触れるくらいの距離に、座っていた。

言葉じゃない。でも、伝わっていた。
気づいてくれていた。

「言葉が少ない」ということと、「心がない」ということは、まったく別の話だ。

それを頭で理解したのはずっと前だったけれど、
腹の底から納得できたのは、あの日が初めてだったかもしれない。

診断直後の「これからどうなるんだろう」という不安については、第1回の記事に書いています。はじめのころの気持ちと今を比べると、自分でも少し驚くくらい変わったことがある。

「伝わった」と感じる瞬間が増えてきた
4歳になったいま、子どもの言葉は少しずつ増えている。

完璧な文章じゃない。
発音が不明瞭なこともある。
気持ちを言葉にするのは、まだすごく難しそうだ。

でも、「伝わった」と感じる瞬間が、確かに増えた。

お気に入りのキャラクターのセリフを言い始めたとき、
「ああ、これが好きなんだな」とわかる。

手をつないで歩いていて、ふと「きれい」と言ったとき、
子どもが見ているものと、同じものを見られた気がした。

怒られたあと、しばらくして「ごめんね」と言いに来たとき——
それが自分から出てきた言葉だと気づいたとき、
胸が詰まって、うまく笑えなかった。

言葉の数より、その一言に込められたものの重さを、
この子と向き合うようになってから、ずっと感じるようになった。

わたしが変えたこと——「聞き方」の話
正直に言うと、以前のわたしは子どもとの会話が「うまくいかない」と思っていた。

「今日どうだった?」と聞いても、答えが返ってこない。
「これ何色?」と聞いても、違う方向を向いている。
会話のキャッチボールが成り立たない、という焦りがあった。

でも療育の先生から言われたことを実践してみると、少し変わった。

「問いかけを減らして、実況を増やす」

「今日楽しかった?」じゃなくて、「滑り台すべってたね、楽しそうだったね」。
「これは何?」じゃなくて、「これ、赤いね。ぐるぐるしてるね」。

子どもに答えを求めるんじゃなく、
子どもが見ているものを一緒に見て、ただ言葉にする。

これをするようになったとき、子どもがわたしの顔を見る回数が、少し増えた気がした。

答えを求められていないから、怖くない。
ただそこにいていいから、安心できる。
そういうことなのかな、と今は思っている。

療育でこういった関わり方を少しずつ教えてもらった経緯は、第3回の療育スタートの記事にまとめています。「どうやって療育を選んだの?」と気になる方はぜひ。

「この子の言葉」を、もう一度ゼロから学んでいる
以前の記事にも書いたが、うちの子は映画のセリフをそのまま話す「エコラリア」がある。

最初はそれが「本当の言葉じゃない」と感じていた時期があった。

でも違った。

怖いとき、不安なとき、うれしいとき——
子どもはセリフを使って、その気持ちを表現しようとしていた。

あるキャラクターのセリフを言いながら手をのばしてきたとき、
よくよく聞いてみると「一緒に行こう」というセリフだった。

それを知った夜、なんだかもう、涙が止まらなかった。

言葉の形が違っても、伝えようとする心は同じだ。

わたしはまだ、この子の言語を習っている途中だ。
でも、習えば習うほど、聞こえてくるものが増える。
この子の世界が、少しずつ、大きく見えてくる。

「うまく話せない」という苦しさを、忘れないでいたい
コミュニケーションが増えてきたことを喜びながら、同時に思うことがある。

この子は今も、自分の気持ちをうまく言葉にするのが難しい。

泣きたいのに泣き方がわからないときがある。
嫌なのに「いや」が出てこないときがある。
楽しかった記憶を誰かに話したいのに、言葉が追いつかないときがある。

そのもどかしさを、わたしは本当の意味ではわからない。

でも、想像することはやめたくない。

「どうして言えないの」じゃなくて、「言えなかったね、でも伝わったよ」と言える親でいたい。
言葉が届かなかった夜も、手をつないで隣にいた子どものことを、忘れないでいたい。

伝わること、伝えること。
それはこの子だけの課題じゃなくて、わたしの課題でもある。

わたしたちの間に生まれたもの
あの日、「まま、きて」と言われてからもう2年近く経つ。

今は名前を呼ばれることが増えた。
「みてみて」と言われることも増えた。
「いっしょにやる」と手を引かれることも増えた。

全部が順調なわけじゃない。
パニックも崩れも、まだある。
うまく話せない日も、伝わらない夜もある。

でも、確かに、わたしたちの間には何かが積み上がっている。

言葉じゃないものを含めた、「通じ合えた記憶」。

それがこの子にとっての安全基地になっていると信じているし、
わたしにとっての、続ける理由にもなっている。

まだ途中だ。ずっと途中だと思う。
でも途中のまま、今日も隣にいる。
それでいいと、今のわたしは思えている。

今日からできること(1つだけ)
「何か変えなきゃ」と思うと、それだけでしんどくなる。
だからこそ、1つだけ。

今日から、質問を1回減らして、実況を1回増やしてみる。

「楽しかった?」→「楽しそうだったね」
「これ何?」→「赤いね、丸いね」

答えを引き出そうとしないで、ただ一緒に見る。
それだけで、子どもの表情が少し変わることがある。
わたしも、それに気づいたとき、少し楽になった。

完璧にやらなくていい。
「今日1回できた」で、十分だと思う。

次回は、「きょうだい」や「ひとりっ子」問題——発達ゆっくりっ子の親として、もう一人産むかどうかを考えた話を書こうと思います。

言葉が少なくても、伝わっていないわけじゃない。あなたと子どもの間にも、きっと積み上がっているものがある。

どうか同じように我が子を思い、調べ、涙を流すあなたの心が少しでも晴れますように。

著者:風助ママ
発達ゆっくりっ子を育てるワーママ。日々のリアルをそのまま書いています。

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