この子の「好き」の中に、この子がいた。遊びを通してわかった、得意なことと安心の形

発達理解(特性・診断・考え方)

\ この記事を読んでほしい方 /
お子さんの「得意なこと」がなかなか見えてこないと感じている方/遊び方が独特で、どう関わればいいか迷っている方/「強みって言うけど、うちの子に強みなんてあるのかな」と思ったことがある方

「好きなもの」から見ていなかった、ということに気づいた
前回、保育参観のことを書いた。
廊下の窓越しに見た、あの静かな立ち姿のこと。

あのときから、わたしの中で少しだけ変わったことがある。

それまでのわたしは、ずっと「できないこと」の方を見ていた。
切り替えられない。言葉で動けない。パニックになる。
どうすれば改善するか、どこに相談するかそのことばかり考えていた。

でも参観日の帰り道から、もうひとつの問いが生まれた。

この子は、何が好きで、何が得意なんだろう。

当たり前のようで、ちゃんと向き合ったことがなかった。

積み木の街に、人がいない
この子は積み木が好きだ。

床に並べて、街を作る。
道があって、建物があって、橋のような形もある。
かなり時間をかけて、丁寧に積み上げていく。

でも、いつも気になっていたことがあった。

街に、人がいないのだ。

車は走る。でも人は置かない。
動物のフィギュアが近くにあっても、街の中には入れない。
完成した街を、子どもはしばらくじっと見ている。

最初は「なんでかな」と思っていた。
一緒に作ろうとして、人形を置いたら静かに取り除かれた。

「どうして人いないの?」と聞いたことがある。
子どもは少し考えてから、こう言った。

「くるまがはしるから」

それだけだった。
でも、それで十分だった気がした。

この子の街は、車のための街なのだ。
人を置く発想より先に、車が動く場所を作ることが目的になっている。
その論理は、完全に筋が通っている。

車は、映画を再現するための道具だった
積み木の街に走らせる車も、ただ走らせているわけじゃなかった。

よく見ていると、決まったパターンがある。
同じコースを、同じ速さで、何度も走らせる。
ときどき、小さな声で何かをつぶやいている。

耳を澄ますと映画のセリフだった。

好きな映画の、あのシーンを再現していた。
車の動きが、映画の中の動きと一致している。
セリフのタイミングも、ほぼ正確だ。

それに気づいた瞬間、わたしは少し呆然とした。

この子は「遊んでいる」んじゃなくて、「再現している」んだ。
すでに記憶の中にある場面を、自分の手で再び動かしている。

目を見開いて、ちょっとドヤ顔で振り返ってくる。
「見た?」という顔だ。

わたしが「すごいね、あのシーンだ」と言うと
満足そうに、もう一度やり始める。

「もっかいやって」が止まらない夜
この子の口癖がある。

「もっかいやって」

眠いのに、疲れているのに、これが出てくると断れない。
鬼のまねをして追いかけると「もっかいやって」。
変な声で名前を呼ぶと「もっかいやって」。
なんでもないことをやり直すと「もっかいやって」。

最初は「この繰り返しへのこだわりが……」と思っていた。
でも最近、少し見え方が変わった。

この子が求めているのは、「もう一度同じことが起きること」だ。
つまり、予測できること。コントロールできること。

「もっかいやって」は、「もう一度安心させて」という意味なのかもしれない。

そう思ったら、疲れていても「もう一回だけね」と言える回数が、少し増えた。
正直、全部に付き合えるわけじゃない。
でも、「この子のわがまま」じゃなくて「この子の安心の取り方」だと思うと
断るときの罪悪感が、少し違う形になった。

豆まきで気づいた「予測できる遊び」の強さ
節分の夜のことを書く。

夫が鬼の仮装をして、子どもが豆をまく。
保育園の仮装の鬼には泣いて逃げたのに、家では何度でも繰り返せた。

違いは何だろうと考えた。

保育園の鬼は、突然現れた。
どこから来るかわからない。
いつ終わるかわからない。
声も、動きも、予測できない。

家の豆まきは、全部わかっている。
「パパが鬼になるよ」と最初に言った。
どこに立つかも、どう逃げるかも、子どもが知っている。
豆をまいたら「降参」する、という「ルール」も知っている。

だから何十回でも繰り返せた。
飽きないのではなく、繰り返すほど安心が深まっていくのだ。

この子は、「初めて」より「もう一度」に強い。
それは弱点じゃなく、この子の安心の作り方だった。

「いっしょにつーくって」と言ってくれたとき
積み木で遊んでいると、たまに振り返って言う。

「いっしょにつーくって」

うれしくて、隣に座る。
ブロックを渡す。「ここに置いたらどう?」と聞く。

するとかなりの確率で、取り除かれる。

泣かれることもある。
「ちがう」「そこじゃない」という言葉が出てくることもあれば、
何も言わずにただ崩されることもある。

正直、何が正解かわからなくて、こっちも泣きたくなる。

でも最近、少しわかってきたことがある。

「いっしょにつーくって」は、「一緒に作ってほしい」じゃなく、
「そこにいてほしい」という意味に近いのかもしれない。

隣で見ていてほしい。
何かしてほしいわけじゃなく、ただ、いてほしい。

だから今は、座って見ている。
「これすごいね」「上手だね」と言いながら、手は出さない。
そうすると、崩されることが減った。

「参加」じゃなく「同席」が、この子にとっての「一緒に」だったのかもしれない。

強みは「見つける」より「見えてくる」ものだった
以前、療育の先生に言われたことがある。

「この子の強みは、記憶力と再現力です。見たものを正確に覚えて、手で再現できる。これはすごいことですよ」

そのときは「そうなんだ」と思うだけだった。
強み、という言葉の意味が、実感として届いていなかった。

でも遊びをよく見るようになって、ようやく腑に落ちた。

映画のシーンを車で再現できること。
積み木で都市計画のような空間を作れること。
一度見たルーティンを正確に覚えていること。

それは「障害があるのに頑張っている」じゃなくて、
ただ単に、この子が持っているものだ。

わたしは「できないこと」を探すのが上手になりすぎていた。
この子の中にあるものを見る目が、少しずつ育ってきた。
そう思うのは、まだ早いかもしれない。
でも、確かに変わってきている。

「得意」が見えると、関わり方が変わる
強みがわかると、声のかけ方が変わった。

お風呂に入れないとき、「お風呂入ろう」と言うより、
好きなキャラクターの声まねで呼びかける方が動く。

新しいことを試すとき、「やってみよう」より、
「○○(好きな映画のシーン)みたいにやるよ」という方が入りやすい。

切り替えが必要なとき、急かすより、
「じゃあ最後にもう一回やったら行こう」と予告する方がスムーズだ。

どれも、この子の「得意」と「安心の形」を知ったから出てきた工夫だ。
「できないこと」を直そうとするより、「できること」を入り口にした方が、
この子も、わたしも、しんどくない。

完璧じゃない。
それでも崩れる日はある。
でも、「なんでできないの」が、「どうすれば届くかな」に変わってきた。
その変化が、今のわたしには、大きい。

次回は、この子が「わたしのそばにいること」をどう感じているのか療育の先生に言われた言葉と、日々の中で気づいたことを書こうと思います。「この子はわたしのことが好きなのかな」という問いに、向き合った話です。

「この子の得意って何だろう」と探し続けているあなたへ。答えは遠くにあるんじゃなくて、毎日の遊びの中に、もうある。見えていないだけで、そこにある。

どうか同じように我が子を思い、調べ、涙を流すあなたの心が少しでも晴れますように。

著者:風助ママ
発達ゆっくりっ子を育てるワーママ。日々のリアルをそのまま書いています。

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