変われたはずなのに、しんどい夜がある。それでいいんだと気づいた話

発達理解(特性・診断・考え方)

\ この記事を読んでほしい方 /
いろんなことを乗り越えてきたはずなのに、まだしんどい夜がある方/「こんなことでまだ落ちるの」と自分を責めてしまう方/成長と消耗が同時に起きていて、何が正解かわからなくなっている方

「もう大丈夫なはず」なのに、しんどい夜がある
前回、わたしが変わってきた、という話を書いた。

解決できないことを抱えたまま前に進める。
「わからない」と口に出せるようになった。
正しい親であることより、続けることの方が大事だと思えるようになった。

本当のことだ。書きながら、そう感じた。

でも翌朝、子どもを保育園に送った帰り道、なんだかひどくしんどかった。

理由は、たいしたことじゃなかった。
いつものパニック。いつもの切り替えの難しさ。いつもの「早くして」が通じない朝。

何も新しいことは起きていない。
前からずっと、こうだった。

それなのに、今朝に限ってどうしても涙がにじんだ。

「変われた」と書いたばかりなのに、情けない。
そう思って、また少し、自分を責めた。

「しんどい」に、理由がいるとは限らない
最初、原因を探した。

睡眠不足か。仕事が詰まっているからか。先週の親戚関係の疲れが残っているのか。

でも正直、よくわからなかった。

全部が少しずつ積み重なっている気もするし、
全部が関係ない気もした。

子育てをしながら気づいてきたことがある。

「しんどい」には、明確な理由がない日がある。

バケツに水がたまっていく。
一滴ずつは大したことじゃない。
でもある日、気づいたらあふれている。

今日はそういう日だったんだと思う。
原因を特定できなくても、しんどいことに変わりはなかった。

「まだしんどいのか」が、一番きつかった
不思議なことに、しんどさそのものより、
「こんなことでまだしんどいの」という自分への声の方がきつかった。

4年育ててきた。
たくさん調べた。療育にも通った。先生たちとも話してきた。
パニックの仕組みも、声かけの工夫も、少しは分かってきた。

なのに、今日もしんどい。
また涙がにじんだ。

「成長した親」が持つはずじゃない感情を、まだ持っている気がして、恥ずかしかった。

でも冷静に考えると、それはおかしい。

知識があれば、疲れない体になるわけじゃない。
理解が深まっても、消耗しない心になるわけじゃない。

分かっている人でも、くたびれる。
それは当たり前のことだと、少しずつ思えるようになってきた。

この子も、「わかっていても」しんどそうにしている
ふと、この子のことを思った。

この子は、もう分かっている。
「次は風呂だよ」と言われれば、何が来るか分かっている。
「もうすぐお迎えだよ」と言えば、だいたいのことが見えている。

それでも、体が固まる日がある。
分かっていても、動き出せない日がある。

わたしは以前、それが不思議だった。
分かっているなら、できるはずなのに、と思っていた。

でも今は分かる。

「分かること」と「できること」は、別のことだ。
「知っていること」と「消耗しないこと」も、別のことだ。

この子が「分かっていてもしんどい」のと同じように、
わたしも「分かっていてもしんどい」日がある。

そう気づいたとき、少しだけ、自分に優しくなれた気がした。

「しんどい」と「愛している」は、今でも両立している
一度書いたことがある。

「しんどい」と「愛している」は、両立する、と。

あのころはそれを、「そう信じたい」という気持ちで書いた。

でも今は、もう少し確信を持って言える。

しんどい夜も、今日は涙がにじんだ帰り道も、
愛情が薄れていたわけじゃなかった。

むしろ、全力で向き合ってきたから、しんどかった。
適当にこなしていれば、こんな朝はなかったと思う。

消耗は、本気でいた証拠だ。
わたしはそう解釈することにしている。

解釈が正しいかどうかは、どうでもいい。
続けていくために、それが必要だから、そう思う。

しんどい夜のやり過ごし方、今のわたしの場合
どうすれば楽になるか、という話を少しだけ書いておく。

ただし、これはわたしの場合だ。
正解だと言いたいわけじゃない。

ひとつめは、「なぜしんどいか」を探さないこと。

原因を探すのが得意なわたしは、しんどいとき真っ先に分析を始めていた。
でも原因を特定できないことの方が多くて、それがまたしんどかった。
今は、「今日はしんどい日だった」で終わらせることが多い。

ふたつめは、好きなものを視界に入れること。

コーヒーでも、小さな観葉植物でも、しまっていた好きなマグカップでも。
理由はよく分からないけれど、視界に「好きなもの」があると、少し落ち着く。
気持ちを立て直すというより、気持ちをそっと置いておける感じがする。

みっつめは、「今夜はここまで」を決めること。

しんどい夜に全部やろうとすると、余計に崩れる。
今夜できないことは、明日に渡す。
そう決めて寝るだけで、少し軽くなる。

どれも大したことじゃない。
でも大したことじゃないことが、わたしには合っている。

変わっても、消耗はする。それでいいんだと思う
「変われた」と書いた記事の翌日に、しんどくて泣いた。

矛盾してるみたいで、少し笑った。

でも、矛盾じゃないと思う。

変わること、気づくこと、成長すること。
それは、消耗しなくなることとは別のことだ。

この子を育てながら、わたしは確かに変わってきた。
でもこれからも、しんどい夜はくる。
また涙がにじむ朝も、きっとある。

それは失敗じゃない。
変われていない証拠でもない。

ただ、今日もちゃんとやっていた、ということだ。

しんどいままでいい。
しんどいまま、また明日を迎えていい。
そう思えるようになったこと自体が、たぶん、変化のひとつだと思っている。

次回は、就学に向けて動き始めたことを書こうと思います。支援学級か通常学級か。わたしがいちばん怖かった問いに、少しずつ向き合い始めた話です。

しんどい夜は、弱さじゃない。今日も隣にいたから、くたびれた。それだけのことだと、わたしは思っている。

どうか同じように我が子を思い、調べ、涙を流すあなたの心が少しでも晴れますように。

著者:風助ママ
発達ゆっくりっ子を育てるワーママ。日々のリアルをそのまま書いています。

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