「できないこと」を数えていた私が、この子の「言語」を見つけた話

発達理解(特性・診断・考え方)

\ この記事を読んでほしい方 /
できないことばかりが目についてしまう方/この子の「得意」がまだよく分からない、と感じている方

「できないこと」のリストが、頭の中にあった
しばらく前まで、私の頭の中には無意識のリストがあった。

同い年の子が普通にやっていることが、うちの子にはできない。
できないことが増えるたびに、そのリストに一行ずつ書き足されていくような感覚だった。

着替えが一人でできない。
会話が続かない。
新しい場所に行くと固まる。
切り替えが難しい。

意地悪で数えていたわけじゃない。
どうにかしなければという焦りが、私をそうさせていた。
「問題」を先に把握しないと、動けない気がしていた。

でも、あるとき気がついた。
私は、この子のことを「問題の束」として見ていたかもしれない、と。

映画のセリフを、丸ごと覚えていた
転機は、ある夕方のことだった。

子どもがひとりでDVDを見ていた。
何度も見ているお気に入りの作品で、私は別のことをしながら横に座っていた。

ふと気がつくと、子どもが画面に向かって何か言っている。

聞いてみると、セリフを言っていた。
キャラクターのセリフと、ほぼ同時に。

驚いて確かめると、その映画の主要なやりとりを、ほぼ全部、正確に覚えていた。
台詞だけじゃない。
声の抑揚も、間の取り方も、そっくりそのままに。

そう言えば子どもがパニックになっている時に「言わなくても分かるでしょー!!」「いいから早くしてー!!」と言っていたのも思い出した。
テレビやDVDの台詞では聞いていないので、どこで覚えてきたの?とおかしくなった。
子どもの前では迂闊なことは言えないな、と苦笑いした。

私は言葉が遅いことを心配していた。
でも目の前の子は、私が思っていた以上に、言葉を吸収していた。
ただ、出てくる形が違うだけで。

「視覚優位」という言葉の意味が、ようやく分かった気がした
療育の先生や主治医から、「この子は視覚優位です」と言われていた。

最初は、「視覚が強い子」くらいの理解だった。
耳より目で覚えるんだな、という程度の。

でもそのとき、腑に落ちた。

映像と音がセットになっていると、丸ごとインプットできる。
画面の中の空間、キャラクターの動き、色、光の変化。
そういうものが全部まとまっていると、この子の中に入っていくのかもしれない。

だから、ただ「言って」も入りにくいことがある。
見せながら、やってみせながら伝えると、ぐっと変わる。
それは私も経験として知っていたのに、「特性」と「日常の工夫」がつながっていなかった。

ブロック遊びに、黙って並んだ日
もうひとつ、忘れられない光景がある。

子どもがブロックで何かを作っていた。
集中しているときの顔は、いつも少し違う。
目が細くなって、口が少し開いて、周りの音が聞こえていないみたいな顔。

私はしばらくそばに座って、何もせず見ていた。

子どもはこちらを気にするそぶりもなく、ブロックを積み、外し、また積む。
15分くらいたってから、突然振り向いた。

「みて」

そこには、私には何を表しているか分からない、でも明らかに「何か」を表している構造があった。

「すごいね、これ何?」
「おうち」

普段は言葉が少ない子が、そのとき「おうち」と言った。
得意なことをしているとき、言葉が出やすい。
それを初めてはっきり感じた瞬間だった。

「強み」は、見つけるものじゃなく、見えてくるものだった
診断を受けてから、「この子の得意を伸ばしましょう」という言葉をいろんな場所で聞いた。

でも最初は、正直ピンとこなかった。

「得意って、何?」
「まだ4歳なのに、どうやって見つけるの?」

今になって思うのは、強みは探しに行くものじゃなかった、ということだ。

ただそばにいて、この子が何に集中するか、何をしているときの顔が違うか、
どんなときに言葉が出てくるか。
そういうことをじっと見ていると、向こうから見えてくる。

映画のセリフを覚える記憶力。
ブロックで空間を組み立てる力。
好きなものへの、まっすぐな熱量。

どれも最初から「得意」の名前がついていたわけじゃない。
でもいつのまにか、この子の輪郭になっていた。

セリフで話しかけてみた
ある日、試してみたことがある。

お風呂に入ってほしくて、でもいつも通りに声をかけると拒否される。
そのとき、子どもの好きな映画のキャラクターの口調で言ってみた。

子どもがふっと笑った。
そのまま立ち上がって、お風呂に向かった。

おかしくて、私も笑ってしまった。

言葉が難しいなら、この子の好きな「言語」で話しかければいい。
そう思ったら、少し力が抜けた。

「正しい言葉で伝えなければ」という気持ちが、どこかにあった。
でも、伝わる言葉が正しい言葉だ、と今は思っている。

「できないこと」が消えたわけじゃない
誤解されたくないので、書いておく。

できないことのリストが、なくなったわけじゃない。
課題は課題としてある。
療育でもそこに取り組んでいる。

ただ、あのリストが私の中で占める場所が変わった。

以前は、リストが画面の中心にあった。
今は、少し端に寄っている。
代わりに、この子がどんな子かという絵が、少しずつ真ん中に来ている。

それだけのことかもしれない。
でも私にとっては、かなり大きな変化だった。

この子の「言語」を、私は今も習っている
映画のセリフ。ブロックの構造。好きなキャラクターの名前。
この子には、この子の言語がある。

私はその言語を、まだ全部は分かっていない。
毎日、少しずつ習っている。

分からないことが多いのは変わらない。
正解が分からない夜も、まだある。

それでも、「この子は何者か」を知ろうとすることが、今の私にできる一番大事なことだと思っている。

診断名より、この子の顔を見ていたい。
そう思えるようになったのは、セリフを覚えていたあの夕方のおかげだ。

どうか同じように我が子を思い、調べ、涙を流すあなたの心が少しでも晴れますように。

著者:風助ママ
発達ゆっくりっ子を育てるワーママ。日々のリアルをそのまま書いています。

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