「あのとき、もっとこうしてあげればよかった」発達ゆっくりっ子を育てる親の罪悪感と、その手放し方

発達理解(特性・診断・考え方)

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診断後に「気づいてあげられなかった」と後悔している方/子どものことで自分を責めることが多い方/罪悪感を持ちながらも、どう向き合えばいいかわからなくなっている方

保育参観の日、私は自分を責めた
担任の先生が「みなさん、椅子に座ってください」と言った瞬間のことを、今でも鮮明に思い出す。

周りの子がさっと席につくなか、うちの子だけが動けずに立ったまま、きょとんとした顔をしていた。

そのとき私が感じたのは、驚きと、それから静かな後悔だった。

「口頭だけじゃ伝わらなかったのか」
「ずっとそうだったのに、どうして気づいてあげられなかったんだろう」

診断がつく前、私は子どもが「わからないのではなく、やりたくない」のだと思っていた節があった。
「もう少しがんばって」「みんなやってるよ」と、知らず知らずのうちにプレッシャーをかけていたかもしれない。

そういう記憶が、診断後にどっと押し寄せてくる。

これは、発達ゆっくりっ子を育てる多くの親が、誰にも言えずに抱えていることではないかと思う。

罪悪感には、ふたつのパターンがある
発達ゆっくりっ子の親が感じやすい罪悪感には、大きくふたつある。

ひとつめは、「気づいてあげられなかった」後悔。

診断前に無理させてしまった、怒ってしまった、泣かせてしまった。
そういう過去の記憶が、診断後に急に「証拠」として浮かび上がってくる感覚がある。
「知っていれば違う対応ができたのに」という後悔が、ループのように繰り返される。

ふたつめは、「自分のせいかもしれない」という思い。

妊娠中のストレス、育て方、環境——何かに原因を求めたくなる気持ちの矛先が、自分に向かってしまう。
「もしかして私が悪かったのかな」と、根拠のない自責を繰り返す。

どちらも、とてもしんどい。
そしてどちらも、一人で抱えていると、どんどん重くなっていく。

罪悪感は「愛情の裏返し」だと、今は思う
少し立ち止まって考えてほしいことがある。

あなたが罪悪感を感じるのは、それだけ子どものことを真剣に考えてきたからだ。

「どうでもいい」と思っている人は、罪悪感を持たない。
後悔するということは、もっとよくしたいと思い続けてきたということ。

罪悪感の量は、愛情の深さと比例する。

そう気づいてから、少しだけ、自分を責めるのをやめられた気がした。

「知らなかったこと」は、罪じゃない
これだけははっきり言いたい。

診断前に「特性に気づけなかった」のは、あなたのせいではない。

特性を知らなければ、特性に合わせた対応はできない。それは当然のことだ。

発達障害の特性は、専門家でも見落とすことがある。医師でも、保育士でも、長年この分野に関わってきたプロでさえ、わかりにくいケースは多い。
親だけが「見抜けなかった」と責められる理由はどこにもない。

あなたは、知っている範囲で、できる限りのことをしてきた。それは、事実だ。

気づかなかった自分を責めてしまうとき、思い出してほしいことをまとめた。

知らなかったことへの後悔と、知ってからの行動は、切り離して考えていい
診断前に怒ったり、無理させたりしてしまったのは、情報がなかったから
気づいた瞬間から、あなたはすでに動き始めている
「もっとできたはず」という思いは、過去ではなく未来に向けていい
子どもが一番傍にいたのは、ほかでもないあなただった
罪悪感は「手放す」より「置き換える」
正直に言うと、罪悪感は「手放そう」と思っても、すぐにはなくならない。
「忘れよう」「気にしないようにしよう」と思えば思うほど、逆に引っかかってしまうことも多い。

だから私がやってみたのは、「手放す」のではなく「置き換える」という発想だった。

ひとつめは、過去の自分に「よくやってたね」と言うこと。

診断前の自分が見えていなかったのは事実だとしても、毎日ごはんを作って、保育園に連れていって、子どもの顔を見て笑っていた。それ自体は、本物のことだ。
「気づけなかった自分」ではなく、「それでもやってきた自分」に目を向ける。

ふたつめは、「今日できたこと」を小さく記録すること。

パニックのとき寄り添えた、絵カードを作った、療育の先生に相談した——大きなことじゃなくていい。
今日、子どものために何かひとつしたことを、記録に残す。それが積み重なって「今の自分」になる。

みっつめは、「誰かに話す」を習慣にすること。

罪悪感は、一人で抱えると重くなり続ける。
同じ立場の親、信頼できる支援者、ブログのコメント欄でも構わない。
「こういうことがあって、つらかった」と言葉にすることで、感情は少しずつ形を変えていく。

「完璧な親」より、「学び続ける親」でいい
発達ゆっくりっ子を育てていると、「もっと完璧な対応ができれば」と感じる場面が何度もある。
でも、完璧な親になることは、誰にもできない。

それよりも、「昨日より少しだけ知っている親」でいることのほうが、子どもにとっては意味があると、私は思う。

子どもは、親の完璧さを求めていない。
一緒にいてくれること、自分のことを考えてくれていること、それを感じられることのほうが、ずっと大きい。

あなたが今日もここで調べて、読んで、考えていること。
それがすでに、「昨日より前に進んでいる証拠」だ。

次回は、療育ってどんなところ?はじめて療育に通う前に知っておきたいリアルな話を書こうと思います。「何をするところか全然わからなかった」というところから、実際に通って感じたことをそのまま書きます。

罪悪感は、消えない日もある。子どもの寝顔を見ながら「今日もうまくできなかった」と思う夜が、まだ来ることもある。それでいいと、今は思っている。完全に消えなくていい。ただ、その感情に振り回されて、今日のあなたが潰れてしまわないことが大切だ。あなたは、十分にやってきた。そしてこれからも、きっとそうだ。

どうか同じように我が子を思い、調べ、涙を流すあなたの心が少しでも晴れますように。

著者:風助ママ
発達ゆっくりっ子を育てるワーママ。日々のリアルをそのまま書いています。

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