「何をするところか、全然わからなかった」療育に通ってみてわかったこと

発達理解(特性・診断・考え方)

\ この記事を読んでほしい方 /
療育に通うか迷っている方/療育がどんな場所かわからなくて不安な方/通い始めたばかりで「これで合っているのか」と感じている方

はじめて療育の名前を聞いた日、何も知らなかった
「療育を検討してみましょう」と最初に言われたのは、主治医の診察室だった。

そのとき私は、「療育」という言葉をうまく飲み込めないまま、ただ「はい」と答えた。

家に帰ってスマホで調べながら、正直なところを言うと、少し怖かった。
「特別な訓練をする場所なのかな」「子どもが嫌がらないかな」「親は何をすればいいんだろう」。
知らないことは、何でも大きく見える。

療育という言葉を知ってから、実際に通い始めるまで、私はずっとそのぼんやりした不安を抱えたままだった。
だからこそ今回は、「通う前に知りたかったこと」を正直に書こうと思う。

療育は「訓練の場所」じゃなかった
最初に持っていたイメージは、こうだった。

子どもが「できないこと」を繰り返し練習させられる場所。
専門家が「正しい行動」を教え込む場所。
親はその様子を遠くから見ている場所。

全部、違った。

うちの子が通っている療育は、少人数か個別で、先生と一対一か小グループで過ごす場所だ。
「できないことを直す」のではなく、「この子がどう感じているか、何が得意か、何があると安心できるか」を丁寧に観察してくれる。

先生が最初に教えてくれたのは、子どもへの課題の出し方ではなく、「この子にとって安心できる場所にすること」だった。

そのひとことで、少し肩の力が抜けた気がした。

最初のうちは「効いているのかな」と思っていた
通い始めたばかりのころ、変化はほとんど見えなかった。

帰宅後のパニックは相変わらず続いていたし、切り替えが苦手なことも、言葉の出方も、大きく変わっていなかった。
「これって意味があるのかな」「ほかの療育のほうがよかったのかな」と、ぐるぐる考えることもあった。

あるとき、先生にそのまま話してみた。

先生は「変化は必ず出てきます。ただ、成長は直線じゃないから」と言った。

成長は階段状に動く。
じっとしているように見える時間の中で、内側ではちゃんと何かが積み上がっている。
そして、ある日突然、一段あがる。

その話を聞いてから、「変わらない日々」の見方が少し変わった。
何も起きていないのではなく、次の一段に向けて準備している時間なのかもしれない、と。

療育で「親の見方」が変わるという感覚
通い始めてから気づいたことがある。

療育は、子どものための場所だ。でもそれと同じくらい、親の見方を変えてくれる場所でもあった。

先生の関わり方を見ていると、いろんなことが見えてくる。

ゆっくり待つこと。
言葉の前に、目で示すこと。
「できた」より「やってみた」を先にほめること。

最初はただ見ているだけだったのに、気づけば家でも似たことをやってみるようになっていた。
強制されたわけでも、教わったわけでもない。
ただ、見ていたら自然にそうなっていた。

療育の先生は、子どもを変えようとしているのではなく、子どもが安心できる環境をつくろうとしている。
その姿勢を横で見続けることが、親の見方を少しずつ変えてくれる。

それが一番大きかった、と今は思う。

行き渋りが出たとき、初めて療育の意味がわかった
ある時期、子どもが療育を嫌がるようになった。

施設の入口の10メートル手前で「おうちかえりたい」と言って、その場から動けなくなった。
引っ張っていくことはできた。でも、それは違う気がした。

結局その日は、挨拶だけして帰った。

先生に報告すると、意外な言葉が返ってきた。

「今は、療育が少し不安な場所になっているのかもしれない。無理に連れてくる必要はない。挨拶だけ、手前で帰るだけ、でも十分です」

「行かなくていい」ではなかった。
「つながりを切らなければ、形はなんでもいい」ということだった。

そのとき初めて、療育が「通う回数」ではなく「関係をつなぐ場所」なのだとわかった。
子どもにとって安心できる大人がいること、行ける日があること、それ自体が療育だった。

「療育に通えば変わる」ではなく「療育と一緒に変わる」
療育に期待しすぎていた時期があった。

通えば、パニックが減る。
通えば、言葉が増える。
通えば、何かが解決する。

そうではなかった。
少なくとも、そんなに単純ではなかった。

療育は、薬でも魔法でもない。
「この子に合う環境と関わり方」を一緒に探してくれる場所だ。
そして親が家でやってみることで、はじめて効いてくる。

だから、療育と親の間に「継続する関係」があることが大事で、回数よりもその関係の質が、子どもに届くものを左右する気がしている。

通い始めてから今も、完全に腑に落ちた、とは言いきれない。
でも、「一緒に考えてくれる場所がある」という事実が、親にとっての支えになっている。
それはもう、十分な理由だと思っている。

療育を迷っている人へ、正直に言えること
もし今、療育を始めるかどうか迷っているなら、こんなことを伝えたい。

「通い始める」だけで、すでに動いている。迷っているうちはまだ入口にいると感じるかもしれないけれど、調べている時間も、準備の一部だ
最初から合う場所に当たるとは限らない。見学したり、話を聞いたりしながら、「この先生になら任せられそう」という感覚を大切にしてほしい
子どもの変化より先に、自分の見方が変わることがある。それだけでも、通う意味はある
行き渋りが出ても、それは「合っていない」のではなく「今、ちょっと休んでいる」だけかもしれない。先生に話してみてほしい
回数や期間で焦らなくていい。療育は「通い続けること」より「関係が続いていること」の方が大事だと、今は思っている
次回は、支援学校・支援学級・通常学級——就学の選択肢をどう考えるか、という話をしようと思います。うちは今まさにその渦中にいます。正解がわからないまま、それでも考え続けていることを書きます。

療育という場所を、最初は怖いと思っていた。何をされるのか、子どもがどんな顔をするのか、親の自分はどう関わればいいのか。でも通ってみてわかったのは、あの場所は「直す場所」じゃなくて「知る場所」だということだった。この子のことを、少しずつ、ていねいに知っていく場所。それに気づいてから、廊下で待つ時間が、少し違う時間になった。

どうか同じように我が子を思い、調べ、涙を流すあなたの心が少しでも晴れますように。

著者:風助ママ
発達ゆっくりっ子を育てるワーママ。日々のリアルをそのまま書いています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました