「二人目、どうする?」答えが出ないまま4年。発達ゆっくりっ子を育てて気づいたきょうだいのこと

発達理解(特性・診断・考え方)

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発達ゆっくりっ子を育てながら、きょうだいのことを考えたことがある方/「二人目どうするの?」という問いが重く感じられる方/産む・産まないどちらの立場でも、揺れたことがある方

「次はいつ?」という言葉が、刺さった時期があった
子どもが2歳のころ、ある場でふと言われた。

「次はいつ?きょうだいいると、この子もいい刺激になるんじゃない?」

悪気はなかったと思う。
でも、帰りの車の中でずっと黙っていた。

夫は何も言わなかった。
わたしも何も言えなかった。

その半年前に、診断を受けていた。
まだ、毎夜スマホで検索していた時期だった。
「この子を一人育てること」だけで、すでにいっぱいだった。

きょうだいのことを考える余裕なんて、どこにもなかった。
でも考えないようにするほど、ふとした拍子に浮かんでくる問いでもあった。

もともと、2〜3人は欲しいと思っていた
正直に書く。

結婚したとき、子どもは2〜3人いたらいいなと思っていた。
漠然と、だけど、本気でそう思っていた。

発達障害の診断が出る前から、育児はしんどかった。
でも「これが子育てというものだ」と思っていたし、
「慣れたら、もう一人」という感覚が、どこかにあった。

それが変わったのは、診断後だった。

「一人育てるだけで手一杯だ」とわかってしまった瞬間から、
「もう一人」という言葉の重さが、まったく違うものになった。

夢が消えた、というよりも——
描いていた未来の地図が、静かに書き換えられていく感じ、とでも言おうか。

インスタのタイムラインを、そっとミュートした日
診断から少し経ったころ、子育て中のママの二人目妊娠報告をインスタで見かけた。

おめでとう、と思った。
本当にそう思った。

でも、その投稿をしばらく眺めていたとき、
何かがじわじわと胸に広がってきた。

嫉妬とも違う。
悲しみとも少し違う。
うまく言葉にならないまま、わたしはそのアカウントをミュートにした。

フォローを外したわけじゃない。
嫌いになったわけでもない。
ただ、今のわたしには、見続けることができなかった。

それでいい、と思うようにした。
でも、そう思うのにも少し時間がかかった。

「きょうだいがいると刺激になる」は、本当か
よく言われる。

「きょうだいがいたほうが社会性が育つ」
「上の子が下の子をみて、関わり方を覚える」
「きょうだいがいる子は、コミュニケーション能力が上がる」

どれも間違いじゃないと思う。
きょうだいがいて、本当によかったと感じている家族もたくさんいる。

ただ、うちの子には、そのまま当てはまらないかもしれない——そう感じた。

うちの子は、切り替えが今もとても難しい。
環境の変化が苦手だ。
日々のルーティンが少し崩れるだけで、帰宅後のパニックが増える。

そこに、もう一人の赤ちゃんが加わったとしたら——

「刺激になる」かどうかより先に、
「この子の安心できる環境を、守れるか」という問いが来た。

それはきょうだいを否定したいわけじゃなく、
ただ、うちの子とわたし自身のことを、正直に考えたときに出てきた問いだった。

「産まない」と決めたのか、と聞かれたら
決めていない、が正直なところだ。

「もう一人は産まない」と腹をくくれたら、どれだけ楽だろうと思う日がある。
でも、くくれていない。

「欲しい」という気持ちが、消えたわけじゃないからだ。

ただ、「欲しい」と「今の自分に育てられる」が、ずっとかみ合わないままでいる。

年齢的なタイムリミットも、頭のどこかで鳴っている。
夫とはたまに話す。でも、結論は出ない。
「また今度話そう」が、もう何度繰り返されたかわからない。

それが苦しいかといえば、苦しい。
でも、今すぐ決めることが正しいとも思えない。

「ひとりっ子でよかった」と思う瞬間が、ある
これは書くのに少し勇気がいる。

でも、正直に書く。

子どもとふたりでいる夜、この子だけを丸ごと見ていられる時間が、好きだ。

泣いても、崩れても、パニックになっても——
今のわたしには、この子だけを抱きしめる余力がある。

もし下に赤ちゃんがいたら、この子が崩れたとき、抱っこしてあげられただろうか。
この子の「みてみて」に、全部応えられただろうか。

一人だから、できていることが、たくさんある。

そう気づいたとき、「ひとりっ子でよかった」じゃなくて、
「今この形で、精一杯やれている」という感覚が来た。

それは、答えじゃない。
でも、今日を生きるための、足がかりにはなった。

「この問いに、正解はない」と気づくまで
産む・産まない。
どちらが正しいという話じゃない、と頭ではわかっている。

でも、この問いは「正解を出さないといけない」という重さを帯びやすい。
特に、子どもの将来を思えば思うほど。

「きょうだいがいれば、親亡き後に支えてくれるかもしれない」
「でも、きょうだいにその役割を押しつけていいのか」
「下の子が生まれたとき、上の子の不安定さをわたしは支えきれるか」
「今の自分のキャパで、二人を育てられるか」

考えれば考えるほど、枝分かれしていく。
どこにも「ここが正解」という場所がない。

ある日、そのことを療育の先生にぽろっと話したとき、先生はこう言った。

「この問いは、ずっと抱えていていいんですよ。決めなきゃいけない問いじゃないです」

その言葉が、ずっと残っている。

揺れていていい、と今は思う
まだ、答えは出ていない。

「もう一人欲しい」と思う日も、
「今のままでいい」と思う日も、
どちらもある。

それは迷っているんじゃなくて——
たぶん、それだけ真剣に考えているということだと、今は思っている。

インスタをミュートしたあの日のわたしに、今声をかけるとしたら。

「答えを出さなくていい。
揺れていることが、この子への誠実さだよ」

そう言いたい。

産む・産まない。どちらを選んだとしても、
悩んだ時間は消えないし、無駄にもならない。
その問いを正面から引き受けた親であることは、どちらの道でも変わらない。

同じ問いの前に立っているあなたへ
「二人目どうするの?」が重く感じられる人がいる。

「産まないって決めたけど、本当にそれでよかったのか」と夜中に考える人がいる。

「欲しいけど育てられるか怖い」という人も、
「もうきょうだいがいるけど、あのとき産んでよかったのかまだわからない」という人も。

この問いの前では、みんな正直に揺れていいと思う。

答えを出すためじゃなく、
正直に揺れていることを、恥ずかしがらなくていい。

わたしもまだ、揺れている。
それを隠さないで書くことが、今のわたしにできることだと思っている。

次回は、子どもが保育園でどう過ごしているか——「集団の中のこの子」を外から見たとき、何を感じたかを書こうと思います。

産む・産まない、どちらの道にも、あなたなりの誠実さがある。その問いを抱えてきたことを、どうか責めないでほしい。

どうか同じように我が子を思い、調べ、涙を流すあなたの心が少しでも晴れますように。

著者:風助ママ
発達ゆっくりっ子を育てるワーママ。日々のリアルをそのまま書いています。

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