「この子はわたしのことが好きなのかな」と思っていた夜。髪を触る手が、答えだった

発達理解(特性・診断・考え方)

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「この子はわたしのことが好きなのかな」と思ったことがある方/言葉でなかなか気持ちを伝えてくれない子を育てている方/発達ゆっくりっ子との愛着や関係性に、不安を感じたことがある方

「ママのこと、好き?」と聞けなかった
子どもに、ちゃんと聞いたことがなかった。

「ママのこと、好き?」

単純な問いだ。
でも、わたしにはなぜか、それが聞けなかった。

怖かったのだと思う。
「うん」と言ってくれなかったときのことを、想像してしまっていた。

言葉が遅いこの子は、質問に答えるのがまだ難しい。
「好き?」と聞いても、関係ないセリフが返ってくることもある。
答えてくれても、それが「わたしへの言葉」なのか、判断できないときもある。

だから聞かなかった。
聞かないまま、でも、ずっとその問いを抱えていた。

髪を触る手のこと
この子は、わたしの髪をよく触る。

朝、まだ眠いのに、隣に来てそっと触る。
夜、寝る前に、目を閉じながら触る。
寝ついてからも、気づくと手が伸びてきている。

最初は「やめて」と思っていた。
髪が絡まる。引っ張られて痛い。
寝返りを打つたびに目が覚める。

でも、あるとき主治医に何気なく話したら、こう言われた。

「それは、安心のための行動です。この子にとって、あなたがいちばん安全な場所だということです」

安心のための行動。

その言葉が、しばらく頭から離れなかった。

怖いときや不安なとき、人は何かに触れたくなる。
柔らかいもの、温かいもの、いつもそこにあるもの
この子にとってのそれが、わたしの髪だった。

「好き?」と聞かなくても、
この子は毎晩、その問いに答えていたのかもしれない。

抱っこをやめない理由
4歳になっても、この子は抱っこが好きだ。

保育園の先生にも「もう歩けますよ」と笑いながら言われるほど、
外でも「だっこ」「だっこ」とおねだりしてくる。

正直、重い。
仕事帰りの夕方、保育園バッグを肩にかけたまま、4歳を抱えて歩くのは、しんどい。
腰が悲鳴を上げる日もある。

でも、やめられない。

抱っこをせがまれたとき、この子の顔を見ると——
疲れているときほど、その目が真剣だから。

ふざけているわけじゃない。
甘えているだけでもない。
本当に、そこに必要なものがあって、求めている顔だ。

療育の先生に話したとき、こんな言葉をもらった。

「特性を抱えて1日頑張った後の安心感の充電を、おうちでしているんだと思います。抱っこはその充電器ですよ」

充電器。

その言葉を聞いた瞬間、肩の力が少し抜けた。

この子が1日、保育園で、療育で、わたしが見ていないところでどれだけ頑張っているか
「重い」と感じていた抱っこが、急に、別のものになった。

一日中、そばにいようとする
朝から晩まで、この子はわたしのそばにいようとする。

トイレに行くと、ドアの外で待っている。
台所に立つと、足元に来る。
ソファに座ると、隣に来る。
寝室に入ると、ついてくる。

はじめのころは、「この子は人の気配が好きなだけかな」と思っていた。
誰でもいいんじゃないか、とも。

でも、夫が帰ってきても、おじいちゃんが来ていても
この子が最終的に来るのは、やっぱりわたしのそばだ。

「ほかに人がいてもいいけど、ここが一番」という場所が、わたしの隣らしい。

言葉で「ママが好き」とは言ってくれない。
でも、体がそれを教えてくれている。

「愛着」とは何か、を考えた夜
愛着、という言葉がある。

発達の文脈でよく出てくる言葉で、「特定の人に安心感を求め、そばにいようとする行動」のことを指す。
子どもの発達にとって、愛着の形成はとても大切だと言われている。

この子には、ちゃんと愛着があるんだろうか
診断の直後、そのことがひどく心配だった。

目が合いにくかったあのころ。
名前を呼んでも振り返らなかったあのころ。
「この子にとって、わたしは特別な存在なのだろうか」という問いが、何度も来た。

でも今は、少し違う景色が見えている。

言葉で「好き」と伝えるのが難しくても、
気持ちを言語化するのが苦手でも、
この子はちゃんと、わたしを求めている。

形が違うだけで、愛着はそこにあった。

幸せを与えているのは、どちらか
育児時間には限りがある。

この子が小さいのは、今だけだ。
重くて抱けなくなる日が来る。
「だっこ」とおねだりしてくれない日が来る。
髪を触る手が、離れていく日が来る。

そう思うと重いとか、眠れないとか、腰が痛いとか
そういうことが、少し遠くなる。

子どもを守り、育て、支えているのはわたしだと思っていた。
でも最近、ふと気づく。

もしかしたら、幸せを与えてもらっているのは、わたしの方なんじゃないか、と。

「だっこ」と言いながらよじ登ってくるこの体の重さが、
「もっかいやって」と目を輝かせる顔が、
寝ながら無意識に伸びてくる手が

それが今日も、わたしを続けさせてくれている。

「好き」という言葉を、まだ待っている
いつか、この子が言葉で教えてくれる日が来るかもしれない。

「ママ、すき」

そう言われたとき、きっとわたしは泣くと思う。
盛大に、声を出して、泣く気がする。

でも今は言ってくれなくても、もういい、という気持ちも少しある。

髪を触ってくれる夜に、もうわかった。
抱っこをせがんでくれる夕方に、もう伝わっている。
足元に来て、ただ並んでいるとき、もう十分だと思う。

言葉は、気持ちのすべてじゃない。
この子は、言葉じゃない場所に、ちゃんとわたしへの気持ちを置いてくれていた。

それに気づくのに、4年かかった。
遅かったかもしれない。
でも、気づけてよかったと思っている。

「この子はわたしを好きなのか」と不安になるあなたへ
言葉で「好き」と教えてくれない子を育てていると、
ふとした夜に、怖くなることがある。

「この子にとって、わたしは特別な存在なのか」
「ちゃんと愛着が育っているのか」
「わたしの関わり方が間違っているのか」

その問いは、この子を真剣に思っているから出てくるものだ。
いい加減な親は、そんなことで眠れなくなったりしない。

答えは、遠くにはないと思う。

足元に来て並ぶ、あの子を見てほしい。
寝るとき、あなたの体のどこかに触れようとする手を、感じてほしい。
「だっこ」「もっかいやって」と何度でも繰り返すその声を、少し違う耳で聞いてほしい。

言葉の形じゃないだけで、もうそこに、ある。

次回は、この子を育てながらわたし自身が変わってきたこと「親になって気づいた、自分のこと」を書こうと思います。子どものことを書き続けてきたけれど、気がつけばわたし自身も、この子に育てられていたのかもしれない、という話を。

言葉で伝えてくれなくても、あなたのそばにいようとしているなら、それがこの子の答えだ。

どうか同じように我が子を思い、調べ、涙を流すあなたの心が少しでも晴れますように。

著者:風助ママ
発達ゆっくりっ子を育てるワーママ。日々のリアルをそのまま書いています。

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